自伝:福岡美容師時代

プライベート

福岡・博多にて、完全フリーランスの特化型美容師(クロスパーマ・髪質改善)として活動しているKentaman®(深見憲太)です!

自伝シリーズは、後半に差し掛かってきました「ケンタマンってこういう人間なんだな」と人となりを少しでも知っていただき、初めてご来店いただく前の不安や緊張が少しでも解消できたらな、という思いで綴っております。

これまでの歴史はこちら!

自伝:幼少期~中学生時代

自伝:高校時代

自伝:大村美容専門学校時代

自伝:佐賀美容師時代

いよいよ激動の「福岡美容師編」です。

青春ドラマみたいなめちゃくちゃドラマティックな話や、華麗なサクセスストーリーでは全くありません(笑)。

「こんな泥臭い感じで生きてきたのね♡」ぐらいのテンションで見ていただけたら嬉しいです。

少々長くなりますが、お付き合いください!

怒涛の10日間!常夏のオープン準備

佐賀の前サロンを8月20日に退社し、次に働く福岡のサロンのオープン日は、なんと9月1日

……自分の引っ越しと、新店舗のオープン準備を**「10日間」**で終わらせるという、我ながら通常運行のバタバタ&超タイトスケジュールです。

オープン準備をしながら、合間で引っ越しの手配。

まだクーラーも付いていない8月の常夏の店内で、ひたすら予約の電話番をしてリアルに溶けかけたり(当時はネット予約なんてなく、電話予約が主流でした)。

本当に死ぬかと思いました。笑

隙間時間でミーティングをしつつ、シャンプー台が開通した瞬間にシャンプーの技術チェック。

着々と店内が完成していく中で、続々と届く大量の商品を整理整頓。

合間を縫って保健所へ書類を出しに行く……。

目まぐるしく何項目も同時進行していくオープン準備は、今思えばめちゃくちゃ勉強になりました。

慌ただしい10日間が過ぎ、いよいよオープン前夜。結局夜中の3時まで準備に追われ(笑)、未完成の場所も残しつつ、なんとかオープン当日を迎えました。

井の中の蛙、東京トップレベルの洗礼

2010年9月1日。 佐賀での5年間のキャリアを一度リセットし、福岡で「1からのアシスタント」として僕の美容師人生第2章がスタートしました。

当時25歳、感慨深いものがありました。

オープン初日。東京のサロンでバリバリに活躍されてたオーナーと初のサロンワーク。

出来上がったばかりの真新しいサロンでの営業は、もう神経の消耗が半端じゃなかったです。

サロンワークを回しながら「材料はどこに置けば使い勝手がいいか」など、導線を作り上げていく作業も同時に行っていたので、頭は常にパンク寸前。

僕は佐賀で5年間必死に積み上げてきた美容師としての腕とプライドを全力でぶつけました。

日本の美容業界トップの土地(東京)の第一線で活躍されていたオーナーと、佐賀の片田舎で天狗になっていた自分との「意識レベル・技術レベルの圧倒的な差」を、初日から痛烈に痛感することになります。

5年間必死に培ってきたものが通用する部分も確かにありましたが、それ以上に自分の接客も技術も、クソほど未熟なのを痛感しました。

美容業界で1年間のお客様から頂く通知表と言われるのが12月。

9月1日にオープンしたので12月はもう目と鼻の先。

スタッフ3人で12月どこまでやりきれるのか、オープンしたばかりだったけどもう既に、12月に向けて走り出していた。

「東京のトップサロンで第一線を張ってきた美容師は、日々どんな生活を送り、どんなマインドでお客様と向き合っているのか?」 その圧倒的なプロ意識と、妥協を許さない『お客様ファースト』の接客マインドを、毎日これでもかと骨の髄まで叩き込まれました。

当時のスケジュールとプレッシャーを思い返すと、本当に「俺、よく過労で死なずに生きてたな……」と心底思います(笑)。

そしていよいよ、1回目の12月。

12月は、予約断らない。

行けるところまでやる!

破天荒な、サロンワークを繰り広げて何とか切り抜けたタイミングとかもありました。

良い悪いは別として、そのぐらい気持ち強くサロンワークに向き合いました。

毎晩どうやったらもっとよいサロンワークが出来たかMTG。

そんなこんなで12月も終わりを迎えると、

当時美容室の生産性は60万あれば普通と言われるなかで、

スタイリスト2人アシスタント1人

3人で100万超えの生産性でした。

怒涛の12月を走り抜けました。

年が明け、2011年の新年度

新卒の後輩たちが入社し、スタッフは5人に。

ここから、僕の日常はさらに加速 狂化?していきます。

朝は8時に集合。

11時から22時まで、怒涛のサロンワーク。

そして営業終了後から、アシスタントのスキルUPのためのレッスンが始まります。終了の目安は「深夜2時」

時には朝の4時を過ぎていることもありました。

この頃の僕らは、間違いなく福岡の美容室業界で一番練習していたサロンだったと思います(知らんけど 笑)。

ブランドサロンということもあり、休みの日には九州各地へセミナー活動

(アシスタントとして同行)

鹿児島日帰り全運転(運転だけで1日7時間)なんてこともありました。

セミナーがない休みの日は、ひたすら街に出てモデルさん探し。

セミナーが盛んだった時期は、2ヶ月間休みなしなんてこともザラでした。

1週間でウイッグ100体カットした時もありました。

営業時間内にモデルレッスンができなかったため、営業外の深夜や早朝にモデルさんを呼んで切らせてもらっていました。

スタイリストになる直前の時期は、ひと月に50名ほどのモデルさんにご協力いただいたこともあました。

 お客さんに喜んでもらいたい!!

可愛いスタイルを創れるようになりたい!!

そしてDoya(ドヤ)りたい!!

過酷な環境でも頑張れたのは、間違いなくこの気持ちが根底にあったからです。(もちろんDoyaりたいという不純な動機も原動力のひとつです 笑)

ここはまさに、濃密すぎる【精神と時の部屋】でした。

当然、誰もが耐えられる環境ではないので、心が折れて去っていく後輩の背中を何度も見送りました。

人が辞めるたびに無力さを感じ、「次こそは、未熟な自分でも彼らの支えになれる先輩であろう」と必死にもがいていました。

27歳、執念のスタイリストデビューと洗礼

25歳でこのサロンに入り、再びスタイリストデビューにこぎつけたのは27歳の2月でした。

このサロンでは「メイクもできないと一人前のスタイリストにはなれない」という超絶辛口な基準がありました。

この辺りの基準は、お店によって本当に違います。

 厳しく育てていただいた分、美容師としての技術レベルは見違えるほど上がりましたが、チェック会はまさに死闘。

「もう絶対ここで合格してデビューします!」と言い切って臨んだメイクテストで、無情にも【不合格】を突きつけられたこともあります。

僕のデビューを見越して中途のアシスタントを採用して下さっていたのにも関わらず、不甲斐ない結果を叩き出してしまい本当に悔しい情けない気持ちでした

そこからまた泥水すする思いで練習し続け、練習に付き合っていただいたモデルさんスタッフたちにも支えてもらい、ようやく掴み取ったメイクチェック合格を!!人生2度目のスタイリストデビューが決定しました!

https://ameblo.jp/ken0910/entry-11457619372.html

ここからが本当の本番!!

デビュー月は「自分で集客して、ご指名いただいたお客様のみ担当できる」という完全実力主義のシステムの中2回目のスタイリストデビューを迎えました。

デビューの前月。

僕はなりふり構わず動きました。

モデルで協力してくれた方全員に手書きのDMを送り、街に出て声をかけ、飛び込みで行ったことのないダイニングバーのカウンターに座って営業してみたり(笑)

考えつく「あの手この手」をすべて使い、泥臭く予約を取りに行きました。

その結果、デビュー月になんと130名ほどのお客様にご来店いただくことができました! 「死ぬ気でやってよかった!」と心の底から思えましたが……当然、費用対効果はクソほど悪かったです(笑)

それも含めてものすごく勉強になりました。

人生最大の挫折と、極限の18時間労働

スタイリストデビューは、決してゴールではなく「スタートライン」。

初月に「とにかく来てください!」と無理にお願いしてご来店いただいた130名という数字。

しかしそれは、僕の純粋な実力で呼んだ「本当の顧客」ではありませんでした。

当然のことながら、翌月になるとリピートしてくださる方は少なく、予約表はパタッと静まり返ります。

あんなに賑やかだった先月が嘘のように、売上は一気に急降下。

僕の都合でお客様に無理をさせて作っただけの、まさに「ハリボテの数字」だったという残酷な現実をモロに突きつけられました。

そこから魔法のようにV字回復!……なんて甘いことは起きません。

落ち込んだ売上を少しでもカバーするための試行錯誤に加え、後輩のレッスンを見ながら、サロンワーク以外の時間でスタイル撮影をし、自分を選んでもらうためにブログを始めまだ立ち上がったばかりのInstagramやFacebookの更新に追われる日々。

1日24時間あるうち、お店にいない時間はたったの「6時間」だけ

残りの18時間は完全に美容師という仕事に全振りする、狂ったような生活です。

しかも当時のサロンは、設定された売上基準をクリアしない限り、どれだけ長時間働いても給料が大して上がらないという厳しいシステムでした。

食事といえば、まともに座って食べる時間もお金もありません。

バックルームに常備したコンビニの「6本入りのスティックパン」を隙間時間にかじって空腹をごまかし、深夜2時過ぎにヘロヘロになって帰宅してから、「もやし炒め」等底単価食品を胃に流し込んで泥のように眠る日々。

ここだけの話、お金がなさすぎて「穴の開いた靴」で営業していた時期もありました。

スタッフやお客様やスタッフに絶対にバレないよう,,,,

それでも、先輩としての意地と愛情があります。

「たまには息抜きさせてやろう」と、なけなしのお金で後輩たちを飲みに連れて行く。

当然、お財布の中身は見事なまでに「カツカツ」になり、次の日からはさらなる極貧もやし生活が待っているという無限ループです。

睡眠時間も、お金も、心の余裕もギリギリ。

そんな極限のサバイバル生活を、アシスタント期間も含めて丸5年続けていました。 佐賀時代も合わせると、実に10年間

自分の青春とも呼べる20代の時間を、文字通り「完全に」美容師という仕事に捧げきっていました。

「これから先も、体が動く限り現役でお客様を綺麗にしていきたい」 「そのための努力なら、どんなに泥臭くても、靴に穴が開いていても耐えられる」

心からそう思って、歯を食いしばって激動の日々を駆け抜けていました。

しかし、ギリギリの精神力で自分を奮い立たせる日々の中で、僕の心の中には「ある矛盾」の黒い影が少しずつ、少しずつ広がっていたのです。

 今後の人生美容師「だけ」やれれば、俺の人生は本当に幸せなのか??

20代の大半を美容師に費やしたことに、1ミリの後悔もありません。

自分で自分の幸福感を持っていなければ、人の幸福(お客様の幸せ)を本気で考えることなんてできないんじゃないか? 

理想と現実のズレが限界に達した、ある日の夜。

ずっとピンと張り詰めていた僕の中の緊張の糸が……『プツン。』と音を立てて切れました。

お店を出て家に帰り着いた時点で、すでに完全に無気力状態でした。

明日への希望なんて1ミリも湧かず、大げさでもなんでもなく、

本気で「全世界終わったな。朝なんて来なければいいのに」と思っていたのを覚えています。

しかし無情にも朝はやってきて、目が覚めても体が全く動きません。

後輩の顔や、今日ご予約いただいているお客様の顔が頭に浮かんで、何度も鳴り響くスマホの着信音に心臓が締め付けられるのに、どうしても電話を取ることができないんです。

そのまま、お店を無断欠勤してしまいました。

自分は後輩を引っ張る立場なのに。

社会人として、美容師として、最低な逃げ方をしてしまった。

部屋で一人、激しい自己嫌悪と抜け殻のような絶望の中にいた時。

連絡がつかない僕を心配し、母親が佐賀からすっ飛んできてくれました。

佐賀の実家までどうやって帰ったのか、道中の記憶がすっぽりと抜け落ちていて全く覚えていないそれくらい、心も体も限界を超えてシャットダウンしていました。

そのまま実家に連れ戻された僕は、まるで死んだように2日間ぶっ続けで泥のように眠ました

そこから1週間。30年の人生の中で初めて経験する、すべてが真っ白になるほどの大きな挫折。

今こうして振り返ってみると、当時の僕はどこか行動しきらないのを言い訳に「悲劇のヒロイン」みたいなメンタルに陥っていた部分も大いにあります

お店やスタッフ、そしてお客様に多大な迷惑をかけてしまったことは紛れもない事実ですし、何より、当時の自分自身の努力不足(キャパシティ不足)も否めません。

実家の部屋で一人。

僕は、逃げ出してしまった不甲斐ない自分自身の弱さと、これからの人生について、とことん見つめ合う時間になりました。

「自分の幸せ」も美容師としての幸せも

実家の部屋で一人、空っぽになった頭でとことん自分と向き合い、一つの明確な答えにたどり着きました。

僕は、美容師という仕事が心の底から好きです。

それだけは絶対に揺るぎませんでした。

「自分の人生そのものを豊かにするのはんなのか本気で生きて、本気で幸せにするにはどうしたらいいのか?」と自問自答した時、自分の身を削り続けるこれまでのやり方で長く走り続けれないという一つの答え。

「雇用という枠から一度外れて、個人事業主(フリーランス)として自分の足で立とう」

20代の10年間、自分の時間、体力、思考の100%を「美容師」に全振りしてきました。

でもこれからは、美容師以外の人生における大事な部分——家族や、社会との繋がり、自分自身の健康や心——にもしっかりと目を向けていきたい。

自分の身をボロボロに犠牲にする生活ではなく、まずは自分自身が心から満たされ、その余白で周りの人も巻き込んで【幸せ】を共有できる道を前に進もうと決意しました。

身勝手な話ですが、自分の中でしっかりケジメをつけるため。 前サロンのオーナーに電話をし後日対面にてお時間をいただいて退社の意向を伝えました。

右も左も分からないポンコツだった僕を手取り足取り、愛情深く育てていただいた大恩人です。

自分がどれだけ身勝手で不義理なことをしているか、痛いほど分かっていました。

オーナーからどんな言葉が返ってくるかも想像できていましたし、心の中は「感謝」と「謝罪」の念でぐちゃぐちゃでした。

申し訳ないという気持ちは、今でも胸の奥に深く残っています。

これ以上自分の心をごまかして働き続けることは、自分にもお客様にも、そして育ててくれたお店に対しても嘘をつくことになると感じていました。

だからこそ、痛みを伴ってでも、自分の人生の舵を自分で取る道を選びました。

そしてフリーランス(個人事業主)への道へ……

長々とお付き合いいただきありがとうございます。


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